旧芝離宮恩賜庭園にて

江戸歴史探訪ウオーキング2007
に行ってきました。今回は都心のど真ん中
の旧芝離宮恩賜庭園から芝大神宮 増上寺 麻布十番の善福寺などなどを歩く
のです。どれも歴史のある一度は訪れて見たかったところです。
 六月二十三日(土)の九時半に東海道線横浜駅の最後尾に集合しました。男
性十名 女性七名の一行です(浜松町で大木さんが合流)。梅雨の谷間に真夏
をも凌駕する日差しを存分に浴びながら浜松町駅から歩いて一分の芝離宮庭園
の中に入りました。ここは回遊式泉水庭園で右回りでも左回りでもどちらでも
良いので誰いうともなく左回りに行く事にした。
 池沿いに進むと鳩や鯉や亀までもが大きな声を立てて騒いでいる。何事かと
近寄って見ると老夫婦がパンの耳を短冊に切りおまけに長い竹串に差して餌を
与えているのです。こんないい食事を逃すものかと鯉も先陣を争って大きな口
を開けて取りっこするし亀も負けてはいない。その押しの強さで鳩を追いやり
争奪戦を繰り広げているのです。

 こんな情景を暫し見ながら大池のほぼ真ん中に架けられた八つ橋を渡り中島
に入った。ここは「史記」に出てくる秦の神山、仙人が住む不老不死の蓬莱山
だ。石組も昔のままだ。ここから見る汐留のビル街や東京タワーは美しい。隣
接する西湖の堤も杭州の景勝地そのものだ。
 ここ芝離宮は江戸最古の大名庭園であるが幾多の変遷を経て昭和十三年一月
に昭和天皇の御成婚の記念として東京市に下賜されたのです。その当時は海水
を引きいれた取入口があり潮の満ち引きで刻々と変わる庭園の景観を今でも心
に描いて想像するのも楽しいものです。帰り際に芝離宮の正門前で中年の工事
ガードマン嬢は正門前から見えるゆりかもめの走っているシーンが外人さんの
目にはお気に入りでシャッターをよく押しますよと語ってくれていました。 
                                  
め組と角力の大喧嘩の芝大神宮
芝離宮を出てから芝大神宮へ向かった。東京の地理は全く疎いので下見してく
れた芝崎さんの後について行った。芝大神宮は、伊勢神宮の祭神の天照大御神
(内宮)・豊受大神(外宮)の二柱を主祭神として祀りしてあり、関東のお伊
勢さまと言った方が分かり易い。平安時代に創建された約一千年の由緒あるお
社なのです。境内や参道はコンクリートジャングルに囲まれ、長い石段の中腹
にある丸い茅の輪を作法どうりにくぐってから参拝するお社なのだ。

私達一行が参殿に着くと何故か神主からお祓いを受け、神社の由来と例大祭、
特に文化二年二月(一八〇五)境内で起きた角力取りとめ組の大喧嘩の一部始
終を話してくれた。それによると見世物小屋の木戸銭をめぐる喧嘩騒動の第一
原因者は境内にある火の見櫓の鐘が勝手になったのは不埒千萬と鐘に三宅島へ
遠島を申し渡したのだ。その寺社奉行所の裁きが江戸っ子の心を捉えこれが歌
舞伎の出し物として江戸の昔から上演されているのだ。

ここの名物は千木筥(衣服を増やす)や生姜の飴が奉納絵馬と一緒に売り場に
あったので生姜飴が飛ぶように売れていた。九月十一日から始まる例大祭は今
年は本祭のだらだら祭り(別名生姜市ともいゆ)で ここ芝界隈はお祭り一色
になるから是非いらっしいと誘われました。 

芝増上寺と徳川家墓所


芝増上寺に行く途中に尾崎紅葉の生誕の地と浅岡飯炊きの井に寄ってみた。今
では見過ごして通り過ごしそうな所にあるが歴史を刻んだ人たちのしるしなの
です。
 尾崎紅葉は首尾稲荷神社のそばの牙彫り師の長男として生まれた。四歳のと
き母を失い母の実家に引き取られるまでここで過ごしたといゆ。

 浅岡飯炊きの井は増上寺の道路を挟んで港区役所の脇にある。小説「樅ノ木
は残った」の一文には「柵には錠のおりた出入り口があり・・・伊達家では、
その井戸の水だけを、藩主の用にあてている。煮炊きにも、飲料にも、藩主に
はその井戸の水だけしか使わなかった。」と
 
万治三(一六六〇)年、伊達騒動が起きた際に、実子亀千代(後の綱村)を毒
殺の危険から守ろうと、母浅岡の局がこの井戸の水を汲んで食事を作った、と
伝えられている所なのです。浅岡の局のわが子を案じる思いが今でも感じられ
るのです。
 
増上寺には三解脱門から入った。まだまだ煩悩を背負っている私達は三解脱門
に足を踏みいれば貪り、怒り 驕りの煩悩を少しでも解脱出来るのだろうか。
こんな思いを心に抱き境内に立った。広い境内の参道の先に大殿が建ち構え、
後ろには東京タワーが聳え立っている。増上寺は大きなお寺だ。浄土宗大本山
 芝増上寺と称し阿弥陀如来を本尊とし南無阿弥陀仏と念仏を称える。


境内の右手にには高さ一丈 重さ四千貫の大梵鐘があり安房木更津では鐘の響
きを聞いていたといゆ。また二人の米国の大統領が訪れ植樹しているのには興
が沸く。グラント将軍の松とブッシュ元大統領の槙だ。ともに今では大きな松
になり槙となっている。

大殿の後ろに徳川家霊廟門がある。ここへ行く途中に小さなお地蔵さんがずら
りと並んでいる。何故か皆 風車と赤い頭巾をかぶって立っている。お寺では
千躰子育地蔵尊と言っているがその数をとうに超えているようだ。


徳川家霊廟門は堅く閉ざして中には入れない。脇の小さな隙間から僅かになが
ら覗くことが出来た。戦災にあうまでは二代将軍忠秀などの霊廟は当時の江戸
の建築技術の粋を集め、日光に匹敵する規模の大きな霊廟だったが今では鋳抜
門などが面影を残しているだけだ。

増上寺を出て隣接する芝公園のはずれに芝東照宮が徳川家康公を祀ってある。
葵の紋の大きな提灯に迎えられ社殿に上がった。ここも戦災にあい極彩色で絢
爛だった社殿が焼失してしまった。現在の社殿は日光東照宮や久能山東照宮の
絢爛さには程遠いが往時の輝きの片鱗が伺える。戦災をまぬかれた公孫樹は巨
木となり天然記念物となって私達を見下ろしていた。           

麻布山善福寺界隈にて

お昼になったので芝東照宮を参拝してからすぐ隣の広く明るい芝公園の植込み
の回りにすわり食事にした。昼食を終えてから公園の小高い山道を道なりの登
ると伊能忠敬測量偉功表の碑に出た。日本全土の地図になにやら星印が記され
ているので測量した印だろう。台座に文言が書いてあるが読みにくい。この辺
は丸山古墳の一角だ。伊能碑の脇から下へ降りと突如大きな虎の石造が現れた。
自由民主党副総裁の大野伴睦の句碑だった。碑には「鐘がなる春のあけぼのゝ
増上寺」と刻まれていた。

ここから網町三井倶楽部に向かった。何処をどう歩いたが分からないが網の手
引坂を通り高台にある網町三井倶楽部の敷地の中に入っていた。この日は結婚
式なので中には入れなかったが豪華絢爛たる洋館だ。網町三井倶楽部が誕生し
たのは、大正二年。後で聞いたがこの館は一般公開されず倶楽部会員かその知
合いであれば、平日ランチや宴会、結婚式などに施設を利用できるのだといゆ。
この辺は大使館が多い。日向坂を下りオーストラリア大使館の前を歩くと屋上
にカンガルーと駝鳥のオブジエが見えるので一目で分かる大使館だ。電柱に元
麻布の表示が見えたので周囲を見渡すと妙な形をした高層建物が現れた。上が
太く下が細く八角形(?)のマンションだ。逆立ちしてみると徳利の形をして
いる。こんな話をしゃべりながら歩いているうちに善福寺の参道に着いた。

浄土真宗本願寺派の麻布山善福寺は由緒あるお寺だ。都内では金竜山浅草寺に
つぐ最古の寺院だ。参道の入り口に最初のアメリカ公使宿と彫った石柱が建っ
ている。お寺は修復工事をしているので墓地に入った。
逆さ銀杏がある。天然記念物で都内最大の銀杏で、樹齢は推定七百年。親鸞上
人が土に刺した杖が根付いたと伝えられている。福沢諭吉も奥方と一緒に眠っ
ている。越路吹雪の歌碑もある。愛の賛歌が刻まれていた。

麻布十番は六本木に近い高級住宅街で大使館関係の外国人も多い。下町情緒の
商店街には江戸・明治創業のお店が多い。慶応元年創業の豆源でお土産に豆菓
子を沢山買ったり、寛政元年創業の布屋太兵衛では甘口、辛口の二種類のつゆ
が運ばれ、さる蕎麦と麦酒で旅の旅の疲れを癒しました。

2007年度行事「江戸歴史探訪ウオーキング」紀行文

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寄稿者:岡本 興和氏

経路
1.旧芝離宮恩賜公園
2.芝大神宮
3.尾崎紅葉誕生の地
4.浅岡飯炊きの井戸
5.増上寺
6.紅葉山
7.網町三井倶楽部
8.善福寺

実施日:2007/06/23

江戸歴史探訪ウォーキング スライドショー


写真提供者:(故)芝崎 芳和氏

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